2013年1月31日木曜日

今度はモンゴルとイザコザ:モンゴルはわが国の一部だった、回収せよ





サーチナニュース 2013/01/31(木) 12:02
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0131&f=politics_0131_002.shtml

中国とモンゴルが石炭めぐり紛争、双方が非難と警告の応酬

  中国国有企業、中国アルミ(中国〓業公司)とモンゴル国営のEET社が、債務の弁済問題で争っている。
 深刻な資金難のためEETが2011年、中国アルミに融資を受け、産出する石炭で返済する契約で、モンゴル側は「石炭価格が不当に安く設定された」と不満をつのらせている。
 環球時報などが報じた。(〓は金へんに「呂」)

  EETは中国アルミから3億5000万ドル(約318億円)の融資を受け、世界最大の埋蔵量の可能性があるとされるタブントルゴイ炭田の開発を進め、同炭田で産出される石炭で中国アルミに返済する契約だった。

  モンゴル側は、
 「取り決めでは石炭価格が最大で1トン当たり70ドルで勘定されることになっている。
 しかし、コークス炭の国際価格は1トン当たり190ドルに上昇した」
と主張。

  モンゴル国のジャブスフバートル駐中国大使は25日、
 「2011年には、モンゴル政府が緊急に融資を受ける必要があったので、契約することになった。
 しかし、この価格は正常な国際貿易では、考えられないものだ」
と述べた。

  ジャブスフバートル大使によると、モンゴル側は融資を受けた3億5000万円のうち3分の2はすでに返済しており、残りの部分の扱いについて、改めて協議したいと考えている。

  ただし、中国アルミ側は
 「引き取る石炭の最高価格に上限は設けていない。
 市場価格にしたがって推移することになっている」
と、モンゴル側の言い分を否定している。

  ジャブスフバートル大使によると、モンゴル側は今後、中国の代表的石炭会社のひとつである神華集団公司と取引したいと考えている。
 「神華集団には基礎設備もあり、国際的な大企業でもある。
 中国アルミは石炭事業については、なにも持っていない」
からという。

  中国アルミはモンゴル側が
 「中国企業2社を天秤(てんびん)はかりにかけている」
と反発。
 中国アルミ幹部のひとりは
 「神華は、別の中国企業に撤退の道筋を設けるようなことをしないと信じている」
と述べた。

  中国アルミは2011年の契約について
 「両国政府がいずれも許可した。
 モンゴルの官僚が最近になり、内容について反対するのは、なんの根拠もないことだ」
と反発。
 中国アルミ国際貿易有限公司の李東光総経理は28日、
 「一方的に契約を放棄すれば、無限責任を負うことになる。
 モンゴル側は違約の道から遠く離れたところを進んでいって欲しい」
と述べた。

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◆解説◆
  モンゴル国は南の中国、北のロシア・シベリア地区にはさまれた内陸国家。
 面積は156万5000平方キロメートルで日本の4倍強。人口は287万人。
 かつては左翼政党のモンゴル人民革命党の一党独裁体制であり、実質的にソ連の衛星国だった。
 1990年の民主化後は自由選挙による複数政党制を導入。
 選挙結果にもとづく政権交代も経験している。

  民主化当初は経済が大混乱し、現在も国民の4割以上が1日2ドル未満で生活する貧困層とされる。
 ただし、2011年には17.5%、2012年には12%以上の経済成長を成しとげ、今後の発展が期待されている。

  金、銅、モリブデン、レアアース、石炭などの地下資源が豊富であり、外国企業の注目を集めている。
 ただし、政権交代にともない政策が極端に変わるなどの問題がある。

  国民の間では、地下資源の開発と輸出に反対する声も強い。
 地面に穴を掘ることをタブーとしてきた伝統も、資源開発に反発する理由のひとつとされる。
 穴を掘ることをタブーとするのは、国の大部分を占める草原は表土が薄いので、穴を掘ると岩盤や砂地がすぐにむき出しになり、そこから沙漠化が始まるという、遊牧民の経験的な環境保護意識によるものとされる。


 小さなイザコザが大きな騒動に発展することは、何時の時代にもあった。
 中国はいま、不用意に敵を作るようなことをしてはならない。
 傲慢な態度は捨てて、慎重に慎重に友好国の中をとりもって以下に時期にきている。
 自分の正当性だけ主張しても始まらない。
 どこで妥協するかが必要になる。
 民族主義が高揚すると、それができなくなり、自ら危地に足を踏み入れることにもなる。


サーチナニュース 2013/01/31(木) 15:47
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0131&f=national_0131_025.shtml

【中国BBS】モンゴルはわが国の一部だった、回収せよ

  中国の国有企業、中国アルミ(中国〓業公司)とモンゴル国営のEET社が、債務の弁済問題で争っている。
 中国のニュースサイト、環球網が同ニュースを報じると、コメント欄には「モンゴル国は中国領土だった」との考えにもとづき、「回収せよ」とする主張が多く寄せられた。(〓は金へんに「呂」)

  深刻な資金難に陥っていたEETは2011年、中国アルミに融資を受け、産出する石炭で返済する契約を交わした。
 モンゴル側の主張によると、すでに3分の2程度を返済したが、最近になり、「石炭価格が不当に安く設定されていたた」と不満をつのらせた。
 モンゴル国のジャブスフバートル駐中国大使も、
 「正常な国際貿易では、考えられない価格だ」
などとして、協議によって価格の再設定をすべきと主張。
  中国アルミ側は、両社が話し合いで決め、両国政府も許可した契約として
 「モンゴル側の官僚が最近になって内容に反対するのは、なんの根拠もない」
と反発した。

  同ニュースを掲載した環球網のコメント欄では、モンゴル側を批判する書き込みが相次いだ。
 契約違反として強く非難し、
 「信義を守らない国に対しては、国際法廷に訴えるべきだ」、
 「モンゴルからの石炭購入を停止せよ。
 (中国は)西アジアに方向を変えよ。
 モンゴルと中国の一切の交流を断絶せよ。
 モンゴルの貨物の中国国内通過をすべて禁止せよ」
との意見もある。

  モンゴルは内陸国であり、中国による「封鎖」に極めて神経質だ。
 過去に、中国がモンゴルが輸出入する貨物列車の運行になかなか応じなかったとして、警戒するモンゴル人もいる。

  「モンゴルを回収せよ」、
 「遅かれ早かれ、中国は外モンゴルを回収するよ」、
 「モンゴルの資源も、いずれ中国のものになるよ」
との考えを示す書き込みも目立つ。

  モンゴルと中国の関係で、現状に対して決定的な意味を持ったのは清代だった。
 清朝皇帝は、漢族地域の皇帝であるだけでなく、モンゴル人にとっての「大ハーン」という性格も持っていた。
 いわゆる万里の長城の北と南では、適用される規則も大きく異なっており、中国とモンゴル人が統合されたのではなく、2つの国を1人の皇帝=大ハーンが支配する体制だったと言える。

 1911年に辛亥革命が勃発すると、現在のモンゴル国の王侯たちの多くが、清朝からの独立を宣言した。
 その後、社会主義革命が発生し、モンゴルはソ連の衛星国となった。

  モンゴル国は、20世紀初頭における中国からの分離を「独立を回復」と認識している
 中国共産党は1920年代からモンゴルの独立を認めており、中華人民共和国としては建国直後の1950年にモンゴル国を承認した。
 ただし、中国側の認識は「もとは中国領だったが独立を認めた」であり、モンゴル側とは見解が異なる。

  中国人の多くも「モンゴルは中国から分離独立した」と考えていることから、コメント欄に「回収」の言葉が並んだと考えられる。

  なお、現在のモンゴル国などを中心とする領域はかつて「外蒙古」、「外モンゴル」と呼ばれたが、モンゴル国側の「中国を中心とする地名」との反発があり、正式には使われていない。
 ただし、同コメント欄には「外蒙古」との表記も見られる。

  モンゴル人は通常、自国を「モンゴル・オルス(モンゴル国」と呼ぶ。
 地域名としては、「アル・モンゴル(北モンゴル)」という場合がある。
 中国は自国内に「内モンゴル自治区(内蒙古自治区)」を設けている。
 「内モンゴル」はモンゴル語の「オボル・モンゴル」の中国語訳としているが、「オボル・モンゴル」の原義は「南モンゴル」となる


 モンゴルの情報。

モンゴル情報広場!モンゴルなう!
http://blog.livedoor.jp/morinhoor/archives/51693069.html
2012年02月12日 12:15

内モンゴルとモンゴルの違いと由来

(1). 内モンゴルとモンゴルに詳しい人は少ないです。
 研究者や学者くらいでしょう。
 そもそも内モンゴルの存在さえ知らない人もいっぱいいるようです。
 内モンゴルは中国の北の方にある自治区で、中国の領土になります。
 モンゴルは独立した国家です。

(2).内モンゴルは学校とかでは、昔ながらの モンゴル縦文字を使い、社会では中国語がメインになります。
 モンゴル人も中国語を習わないと社会でて生き残るのは困難でしょう。
 日常会話に良く中国語が飛び回るのも その原因の一つです。

(3).モンゴルはロシア文字と同じくキリル文字を使っています。
 モンゴルはソ連と仲良くて、ソ連を真似してきた文化が今でも残っています。
 小中学の制服は日本のメイド服に似てるのも、会話によくロシア文字の単語がでてくるのも その一つです。

(4).中国人は、モンゴル国のことを「外モンゴル」、内モンゴル自治区のことを「内モンゴル」と呼ぶので、この呼び名のほうがピンとくるかたもいらっしゃるかもしれませんね。
 (ちなみに、モンゴル人は「北モンゴル」「南モンゴル」と呼んでいます。)

(5).モンゴルの人口265万人(うち9割がモンゴル人)いますが、内モンゴルのモンゴル人は400万人。
 モンゴルの国土面積は日本の4倍ですが、内モンゴルの面積は日本の3倍です。

(6).モンゴルは1911年の辛亥革命後ロシアの支援で、チベット仏教の活仏ラマを君主とするボグド・ハーン政権が生まれ、1924年にモンゴル人民共和国として独立した。

(7).一方、内モンゴルではモンゴルへの併合か独立か自治かと主張もばらばらだった。
 1932年に日本が満州国を成立させると、内モンゴル東部は満州国に組み込まれた。

(8).これをチャンスと見たのが徳王で、百霊廟に内モンゴル西部の王族たちを集め、中国政府に対して内モンゴルの自治権拡大運動を開始。
 蒋介石はモンゴル人をつなぎ止めるためにこれを認めて、1934年に蒙古地方自治政務委員会(百霊廟蒙政会)が設立された。

(9).一方、日本軍も「第二の満州国」作りを狙って徳王に接近し、内モンゴル西部に侵入して中国軍を追い払い、1937年10月に厚和(現フフホト)で蒙古連盟自治政府が成立した。

(10).そのあと徳王は「ジンギスカン30代目の子孫」を名乗り、中国からの独立を宣言しようとしたが、関東軍は決して認めなかった。
 なぜなら「モンゴル固有の領土を回復」を掲げた徳王が独立国を作れば、満州国に編入されている内モンゴル東部が不安定になってしまうからです。

(11).1945年8月、日本の敗戦によって、日本軍に支えられていた蒙古自治邦は満州国と共に瓦解した。
 そのあとモンゴルは内モンゴルの独立を支援しようとしたがのですが、ソ連によって止められた。

(12).そして、1949年10月に中華人民共和国が成立され、12月に内モンゴル自治区が誕生して、ウランフは主席に就任した。

(13).毛沢東がこうして満州国や蒙古自治邦、東トルキスタン共和国のように、外国勢力が民族問題に付け入って傀儡政権を作り、そこで少数民族に「国」を作らせるのは止めて、自治体レベルのものに留め、区域自治だと称した。

(14).一方、ソ連の真似をした社会主義の道を歩んだモンゴルは1990年の民主化後、国家大会議と大統領が並立する二元主義的議院内閣制(半大統領制)を採用した。
 まだ20年しか経ってないのですが、モンゴル国民は自由と平等を訴えることができる。
 これが内モンゴルとの大きな差を生むでしょう。

(15).日本にいるモンゴルの有名人と言えば皆さん御存知の朝青龍、白鵬、日馬富士、 旭鷲山。
 そして内モンゴル出身の有名人と言えば楊 海英、バーボルド。

(16).モンゴルと内モンゴルの国民性の違い:
 モンゴルはハルハ族が大半数を占め、他のモンゴル系諸民族で構成した国家です。
 一方、内モンゴルは80%以上が漢民族と構成になっている為、モンゴル人はチンギス・ハーンの誇りを持ちプライドも高いです。
 そして伝統文化への思いや保護活動はモンゴルよりも積極的に取り込んでいます。
 逆にモンゴルのウランバートル育ちの若者は地方から来た人を田舎モノ扱いがあるようです

以上内モンゴルとモンゴルの違いと由来でした。

参考資料  http://www.geocities.jp/keropero2003/syometsu/innermongolia.html





中国戦闘機、スタンバイへ


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